縁を切られる人間が縁を切った話

お久しぶりです。

タイトルの通りです。別段面白い話があるわけではありません。ただ少しでも、私のような人が減りますように。

 

生きて二十数年、縁を切られる側の人間でした。いつからだったかは覚えていませんが、小学校から換算するとおよそ切られる側にまわっていたと思います。

私の性格も災いしており、大体は喧嘩や逆恨みが多く、人間関係はあんまり褒められたものではありませんでした。自分が住んでいた地域のせいもあるとは思いますが、抜け出そうとしなかった私の業だと思います。

抜け出せるチャンスはいくらでもあったのに「面倒だから」とそれを潰してきました。そのツケが回りに回って大学の3年間をおよそ無駄にしたのです。

有り体に言えばDV彼氏(たぶんそう)と別れられず3年ズルズル引きずった情けない人間です。昨年末にやっと絶縁に至りました。その過程と後をぬるりと書いていこうと思います。

 

何を言われたか何をされてきたか、ここに書けることは全て過去ツイに流しました。昨年の3月24日の深夜0時過ぎ、新宿駅東口前の交差点で眼鏡を割られたことが全て、私にとっての一線でした。ここを破られてから私の決意は早かったと思います。それでも揺らいでいた自分がいます。「今度こそ変わってくれたのかも」と光を見出そうとした自分が信じられないのですが、恋は盲目とはよく言ったものです。

かの3年で何度も詰られ殴られては土下座を強要され、私の10年の軌跡だった画材や服まで捨てさせられたのですが、その都度「これも彼だから」と彼を愛してきました。それほどまで私にとって彼と縁を切ることは難しかったのです。私が他人からこれを聞いていたら「いやそんな恋人やめちゃいなよ」って言うのですが、当事者からしたら「そんな一面ばかりじゃない  ちゃんと優しいときもある」と反論したくなるのです。あんまり一言でサクッと言いたくはないのですが、まあバカだなとは思います。今だからこそそう言えるわけですが。

遠距離になってから会う頻度は下がり、そのうちに様子を伺っていたのですが、依然変わることはなく、とうとう私は諦めを覚えました。

せっかく仲良くなってくれた人を切るのは、例え自分がどんな目に遭おうとそれだけは避けたいと思っていました。よく考えなくてもこれただの依存体質だなと思います。厄介な性格だなと呆れるのですが、こういう流れにならないと学習できない残念な人間なのです。

こちらに来てからたくさんの友人に背中を押され、私と会うこと話すことに価値を感じてくださる方がいることに涙が出そうになりました。その人たちと一緒にいることで自分が浄化されていくのを感じたのです。そんなこともあり、年始に彼から、「もう別れるのは分かったからせめて今までのお返しをさせてほしい」という旨の電話がかかってきたことをきっかけに、絶縁に踏み出しました。このときの返事が全てだったと思います。それまでの私なら期待してまた「変わってくれたんだ  謝ろう もう一度やり直したい」と言っていました。募り募った負の感情はフィルターにかけられ、「いや、もういいよ  いらない」と返せるまでになっていたのです。逡巡した結果出た答えです。前置きがとても長くなりましたが、このとき初めて自分から縁を切りました。とてもとても怖かったです。側から見たら信じられないと思います。断りながら手が震えていたし考えられないくらい涙が溢れてきて電話越しにバレないようにするので必死でした。やっと終わる。私は私のために幸せになれる、そうありたい。もう毎月詰られることもない、お前のせいでお前が悪いと怒鳴られることも、たった一度のミスで土下座させられることもない。自分の中で終わらせることができる。そう感じました。二度と味わうことのできないと思っていた解放感たるや。気付いていたのに自分を追い詰めることしか道がないと思っていたのです。

わりと苦労はしたほうだと思います。いかんせん人の縁を切れない人間というのは馬鹿を見るだけなのだなと感じました。誘いを断ってから東京まで来たらどうしようとは思いませんでした。不幸中の幸いとでも言いましょうか、彼は専ら私に来させて満足する(語弊あり)人間だったので、そこだけはありがたく感じています。

この3年があってから、自分と相性の良い人を見つけるスキル(?)が上がったように思います。普通の人ならこんな目に遭う前に距離を置いたりできたのかなと虚しく思うこともしばしばあれど、そこは結局人次第だと考えています。私は世渡り下手なのもあり、かなりの時間とお金とキャパを無駄遣いしてしまいました。勉強代には少し高すぎましたが、物覚えの悪い私には刺激的な経験だったと思います。

 

うまく書けなくてすみません、3年の中身はかなり端折りましたが、後々書き連ねてここも再編しようとは思います。

 

どうかこれを読んだ方にはここに書かれたような未来が来ませんように。